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宿・ホテル基本情報

宿・ホテル紹介:

パシフィックホテル盛岡市の中心部に立地、ビジネス・観光の拠点として便利。全室有線・無線ネット接続可能。地デジ対応液晶TV。JR盛岡より徒歩15分、盛岡I.Cより車で20分。駐車場:ホテル前無料駐車場40台、満車時は契約駐車場へ案内。翌10時迄の料金はホテルで負担。各種トラック不可

再安価格:

4000円~

チェックイン:

15:00~

チェックアウト:

~10:00

部屋数:

110

位置情報

アクセス:

JR盛岡より徒歩15分、盛岡I.Cより車で20分。
詳細情報

駐車場:

ホテル前無料駐車場40台、満車時は契約駐車場へ案内。翌10時迄の料金はホテルで負担。各種トラック不可

温泉:

-

インターネット:

-

カード:

VISA
JCB
AmericanExpress
UC
DC
MasterCard
AEON
デビットカード

客室設備:

テレビ
CS放送(有料)
衛星放送(無料)
電話
モジュラージャック
インターネット接続(LAN形式)
インターネット接続(無線LAN形式)
ティーサーバー
お茶セット
冷蔵庫
ドライヤー
ズボンプレッサー(貸出)
電気スタンド(貸出)
アイロン(貸出)
加湿器(貸出)
洗浄機付トイレ
ボディーソープ
リンスインシャンプー
入浴剤
ハミガキセット
カミソリ
ブラシ
タオル
バスタオル
浴衣
スリッパ

施設案内:

レストラン
禁煙ルーム
自動販売機
コインランドリー(有料)
クリーニングサービス
パソコン利用可
ファックス送信可
マッサージサービス
モーニングコール
宅配便

NO1:ホテル小田島-上盛岡/旅館・オーベルジュ(その他)[食べログ]

パシフィックホテル盛岡から約41m
[営業時間]チェクイン14:00チェックアウト11:00
[予算][昼]~¥999
[住所]岩手県盛岡市中央通1-12-24

NO2:サン-上盛岡/喫茶店[食べログ]

パシフィックホテル盛岡から約49m
[営業時間]-
[予算]-
[住所]岩手県盛岡市中央通1-6-22

NO3:お台所あん梅-上盛岡/居酒屋[食べログ]

パシフィックホテル盛岡から約64m
[営業時間]17:00~23:30
[予算][夜]¥3,000~¥3,999
[住所]岩手県盛岡市中央通1-12-3いつ柴ビル2F-3F

NO4:Largo(ラルゴ)-上盛岡/フレンチ[食べログ]

パシフィックホテル盛岡から約65m
[営業時間]11:30~14:30(Lunch)18:00~21:00(Dinner)21:00~24:00(Bartime)ランチ営業、夜10時以降入店可
[予算][夜]¥6,000~¥7,999[昼]¥1,000~¥1,999
[住所]岩手県盛岡市中央通1-12-3

NO5:清蔵(鮨・凌ぎ会席清蔵)-上盛岡/寿司[食べログ]

パシフィックホテル盛岡から約83m
[営業時間]11:30~13:3017:00~23:00ランチ営業
[予算][夜]¥8,000~¥9,999[昼]~¥999
[住所]岩手県盛岡市中央通1-6-34小泉ビル1F

NO1:石割桜

パシフィックホテル盛岡から約352m
[お勧め時期]0
[PR]盛岡地方裁判所の構内にある石割桜は、盛岡のお国自慢をするとき、「石割桜こそ日本一の名桜」などといって、よく取り上げられる珍しい桜です。巨大な花崗岩の岩の狭い割れ目に直径約1.35メートル、樹齢が360年を越えるといわれるエドヒガンザクラが生育しているのです。巨大な花崗岩と調和した威厳ある美しい姿と珍しさでは、日本一といっていいのではないでしょうか。この石割桜にもかつて危機がありました。昭和7年に盛岡地方裁判所が火災に遭い、石割桜も北側の一部が焼けましたが、幸い全焼を免れ翌春には再び花を咲かせたのでした。現在は保護管理も良く、毎年見事に開花を続け、たくさんの人の目を楽しませています。ここは南部藩主の分家にあたる北監物の庭園であったといわれ、明治初期には桜雲石と呼ばれていたようです。1923(大正12)年、国の天然記念物に指定されています。
[住所]岩手県盛岡市内丸9-1盛岡地方裁判所敷地内

NO2:石造地蔵菩薩坐像

パシフィックホテル盛岡から約409m
[お勧め時期]0
[PR]愛称四ツ谷地蔵。南部藩主第三十代行信公が300年余前(1694)に建立した。安産、家内繁栄のお地蔵さんとして参詣者が絶えない。
[住所]岩手県盛岡市本町通2丁目15

NO3:特産品プラザらら・いわて

パシフィックホテル盛岡から約502m
[お勧め時期]0
[PR]体にいいもの、おいしいもの、本当に良いものなどいわての味と技が一堂に。生鮮食品もあり、毎日の生活にもつかえる物産館です。
[住所]岩手県盛岡市菜園1-3-6農林会館1F

NO4:啄木新婚の家

パシフィックホテル盛岡から約533m
[お勧め時期]0
[PR]明治38年5月、処女詩集「あこがれ」を出版した石川啄木は、東京で新婚生活をもつという生活設計を変更して、市内の新山小路(現在の中央通3丁目)に帰り、年来の恋人堀合節子と結婚式を挙げました。しかし、父母と妹が同居する新婚生活は窮迫し、そこでの生活はわずか3週間。同7月に市内の加賀野磧町(現在の加賀野1丁目)に移り住みます。その時の様子は随筆「我が四畳半」に描かれています。かやぶきの屋根など当時と変わったところもありますが、ほぼ当時のまま現存しています。啄木の書や写真なども展示されています。
[住所]岩手県盛岡市中央通三丁目17-18

NO5:新渡戸稲造記念碑

パシフィックホテル盛岡から約547m
[お勧め時期]0
[PR]五千円札の顔として皆に親しまれている新渡戸稲造(にとべいなぞう)は、1862(文久2)年、盛岡市に生まれました。札幌農学校に進学し、そこで生涯を通じた合理主義・自由主義・国際人としての基礎を培いました。卒業後はアメリカ、ドイツへ留学して農学・経済学などを学んだあと、国際的な教育者として多くの人材を育てました。また、「武士道」に代表されるような著作活動によって日本文化の海外紹介につとめました。当時立ち遅れていた女子教育にも取り組み、東京女子大学初代学長となり設立に尽力しました。国際連盟事務次長をはじめとする要職につき、国際平和に貢献、カナダのビクトリア市で亡くなりました。現在、盛岡市とビクトリア市は新渡戸を縁として姉妹都市となっています。ビクトリア市の太平洋を望む丘には、盛岡の盛岡城跡公園にある記念碑と同じものがたてられています。岩手公園にあるこの碑に刻まれる、西洋の文明を日本へ、日本の文化を西洋へとの彼の願いを象徴した、「われ太平洋の架け橋とならん」という言葉は、あまりにも有名です。新渡戸こそ、日本を代表する初の国際人といってもよいでしょう。
[住所]岩手県盛岡市内丸1-37