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宿・ホテル基本情報

宿・ホテル紹介:

旅館大正館<岩手県>盛岡駅や繁華街は徒歩圏内!小さな宿ですがアットホーム。現在、旅館正面で工事中です。詳細は注意事項へ盛岡駅より徒歩にて7分駐車場:有り3〜4台1台1日400円要予約、大型車の場合はあらかじめご連絡下さい。

再安価格:

3612円~

チェックイン:

16:00~

チェックアウト:

~10:00

部屋数:

10

位置情報

アクセス:

盛岡駅より徒歩にて7分
詳細情報

駐車場:

有り3〜4台1台1日400円要予約、大型車の場合はあらかじめご連絡下さい。

温泉:

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インターネット:

-

カード:

-

客室設備:

テレビ
アイロン(貸出)
浴衣

施設案内:

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NO1:大正館-盛岡/旅館[食べログ]

旅館大正館<岩手県>から約0m
[営業時間](朝食のみ)7:00~9:30
[予算]-
[住所]岩手県盛岡市大沢川原2-5-30

NO2:熊ヶ井旅館食堂-盛岡/定食・食堂[食べログ]

旅館大正館<岩手県>から約42m
[営業時間]18:00~22:00
[予算][夜]¥1,000~¥1,999
[住所]岩手県盛岡市大沢川原3-2-5

NO3:雪国の乱-盛岡/郷土料理(その他)[食べログ]

旅館大正館<岩手県>から約99m
[営業時間][月~木・日]17:00~24:00[金・土・祝前日]17:00~翌2:00ランチ営業、夜10時以降入店可
[予算][夜]¥3,000~¥3,999[昼]~¥999
[住所]岩手県盛岡市大沢川原3-1-16

NO4:南部炎の陣-盛岡/和食(その他)[食べログ]

旅館大正館<岩手県>から約99m
[営業時間][日~木]17:00~24:00(L.O.23:00)[金・土・祝前]17:00~翌2:00(L.O.翌1:00)夜10時以降入店可
[予算]-
[住所]岩手県盛岡市大沢川原3-1-16

NO5:大森屋-盛岡/かつ丼・かつ重[食べログ]

旅館大正館<岩手県>から約156m
[営業時間][月~土]11:00~19:00[日]11:00~14:00ランチ営業、日曜営業
[予算][昼]~¥999
[住所]岩手県盛岡市大沢川原3-7

NO1:旧宣教師館

旅館大正館<岩手県>から約97m
[お勧め時期]0
[PR]宣教師シングレーの在任中,米国フィラデルフィア市に当時本部のあったジャーマン・リフォームド・チャーチ教団の資金で大正9年に建設された。設計者,施工者は現時点で不明であるが,この種のキリスト教団関係の建物の通例や現存する建物の間取り,構造等の構成から,教団本部の計画指示による設計ではないかと推測する。施工は,地元の職人によるものと考えられるがこれも推測の域を出ない。建物の主体構造は,煉瓦1.5枚積組積造と床,小屋組,窓廻りは木構造を併用している。建物妻手の煉瓦積棟は棟高まで達している。現存する建物は,建坪約126平方メートルの2階建に屋根裏部屋を有する典型的な当時の米国の生活様式を伝える住宅建築である。そのなかでも,ドイツ系米人の生活をうかがわせる簡素な仕上げで,外装は,当初から煉瓦をそのまま現わし,内部も漆喰塗程度であり,装飾的要素はほとんど施していない。一方,設備的には,薪・石炭焚きのボイラー,レンジオーブンが設けてあり,暖炉と共に集合煙突二本により当初から使用されていたようである。当初の間取りは,1階が書斎(現在は一部を玄関に改造),居間,食堂,台所,ボイラー室(現在撤去),便所,パントリー,玄関(北側街路に面していたが現在撤去)。2階は,主寝室,寝室三室(各伝道教室にも使用)浴室,リネン室・屋根裏は物入れ等に使用されていた。後年,外装にモルタル吹付が施され,昭和36年に窓,屋根,暖房(ボイラーとスチームの取り替え)等改装され,現状を呈するに至っている。
[住所]岩手県盛岡市大沢川原3-5-26

NO2:特産品プラザらら・いわて

旅館大正館<岩手県>から約480m
[お勧め時期]0
[PR]体にいいもの、おいしいもの、本当に良いものなどいわての味と技が一堂に。生鮮食品もあり、毎日の生活にもつかえる物産館です。
[住所]岩手県盛岡市菜園1-3-6農林会館1F

NO3:宮野小提灯句碑

旅館大正館<岩手県>から約485m
[お勧め時期]0
[PR]宮野小提灯(みやのこちょうちん)は、戦時中も俳句の灯を絶やさず、生涯を庶民の俳人として貫き通しました。※月待つや独り古城の松のもと
[住所]岩手県盛岡市内丸1-37

NO4:盛岡城跡

旅館大正館<岩手県>から約551m
[お勧め時期]0
[PR]三戸城主南部信直が慶長3年(1598)ごろ着工,子の利直のとき三戸より移る。城が完成したのはその子重直の時代,寛永10年(1633)という。南部氏が累代在城して明治維新までつづいた。現在,石垣と堀を残している。また城跡は岩手公園になっており,内堀・石垣に往時を偲ぶだけである,松や桜の多い園内は,市民の散策の場となっている。◎南部信直(1546-99)近世南部氏の藩祖。戦国末期,豊臣秀吉に仕え本領を守る。盛岡城を築城した。
[住所]岩手県盛岡市内丸1-37

NO5:新渡戸稲造記念碑

旅館大正館<岩手県>から約583m
[お勧め時期]0
[PR]五千円札の顔として皆に親しまれている新渡戸稲造(にとべいなぞう)は、1862(文久2)年、盛岡市に生まれました。札幌農学校に進学し、そこで生涯を通じた合理主義・自由主義・国際人としての基礎を培いました。卒業後はアメリカ、ドイツへ留学して農学・経済学などを学んだあと、国際的な教育者として多くの人材を育てました。また、「武士道」に代表されるような著作活動によって日本文化の海外紹介につとめました。当時立ち遅れていた女子教育にも取り組み、東京女子大学初代学長となり設立に尽力しました。国際連盟事務次長をはじめとする要職につき、国際平和に貢献、カナダのビクトリア市で亡くなりました。現在、盛岡市とビクトリア市は新渡戸を縁として姉妹都市となっています。ビクトリア市の太平洋を望む丘には、盛岡の盛岡城跡公園にある記念碑と同じものがたてられています。岩手公園にあるこの碑に刻まれる、西洋の文明を日本へ、日本の文化を西洋へとの彼の願いを象徴した、「われ太平洋の架け橋とならん」という言葉は、あまりにも有名です。新渡戸こそ、日本を代表する初の国際人といってもよいでしょう。
[住所]岩手県盛岡市内丸1-37