宿・ホテル基本情報
宿・ホテル紹介:
旅館大和駐車場無料でお車の移動に最適。盛岡南ICからR4、R106経由→車15分。全室有線LAN接続無料バス:盛岡駅~盛岡バスセンター下車徒歩5分/タクシー:盛岡駅より10分駐車場:無料平面駐車場有長さ6Mまで、幅・高さ制限なし
再安価格:
-
チェックイン:
16:00~
チェックアウト:
~10:00
部屋数:
15
位置情報
アドレス:
岩手県盛岡市南大通1-11-11アクセス:
バス:盛岡駅~盛岡バスセンター下車徒歩5分/タクシー:盛岡駅より10分詳細情報
駐車場:
無料平面駐車場有長さ6Mまで、幅・高さ制限なし
温泉:
-
インターネット:
-
カード:
VISA
JCB
AmericanExpress
Diner'sClub
DC
NICOS
MasterCard
デビットカード
利用可
客室設備:
施設案内:
NO2:ビストロせん本亭-盛岡/西洋各国料理(その他)[食べログ]
旅館大和から約11m
[営業時間]18:00~夜10時以降入店可
[予算][夜]¥2,000~¥2,999
[住所]岩手県盛岡市南大通1-11-12
NO4:蘭々-盛岡/ラーメン[食べログ]
旅館大和から約25m
[営業時間][月~金]11:30~14:0018:00~翌0:00[土・日・祝日]18:00~翌0:00ランチ営業、夜10時以降入店可
[予算][夜]~¥999[昼]~¥999
[住所]岩手県盛岡市南大通一丁目11-14
NO1:久昌寺
旅館大和から約181m
[お勧め時期]0
[PR]寺のシンボルである山門は、総ケヤキ造り。昭和8年の落成で屋根を支える垂木が放射状に伸び見事な反りを描く「扇垂木造り」が特色。山門の周囲には獅子頭、昇り竜など数々の彫刻がはめ込まれ、1つひとつにいわれがあるという。なお、本堂前にあるシダレカツラは、盛岡市大ヶ生の瀧源寺にある天然記念物シダレカツラより分かれたものといわれている。
[住所]岩手県盛岡市大慈寺町1-5
NO2:大慈寺
旅館大和から約373m
[お勧め時期]0
[PR]寛文13年(1673)の創建。明治17年の大火で焼失したが、平民宰相・原敬の寄進建立で現在に至る。大慈寺の境内には、大正11年東京駅で一青年の凶刃に倒れた原敬が、その遺言により眠っている。また、盛岡ならではの送り盆行事「舟っこ流し」発祥の寺院。大慈寺では「普茶料理」と呼ばれる山草野菜を材料とした素朴な精進料理(中国風の素朴な味は見た目にたいへん美しく、先人から授かった医食同源の知恵を継承)を食することも可能だが、その場合は事前予約(12名以上70名位まで、1人7,000円から)が必要。
[住所]岩手県盛岡市大慈寺町5-6
NO3:原敬墓所
旅館大和から約375m
[お勧め時期]0
[PR]寛文13年(1673)の創建。明治17年の大火で焼失してしまいますが、平民宰相・原敬の寄進建立で現在に至ります。大慈寺の境内には、大正11年東京駅で一青年の凶刃に倒れた原敬が、その遺言により眠っています。原敬(はらたかし通称はらけい)は、1856(安政3)年に盛岡市本宮の南部藩士族の家に次男として生まれ、幼名を健二郎といいました。原の出は士族ですが、次男ということもあって平民となっていました。藩校作人館(仁王小学校の前身)で学び上京、新聞記者などを経て1918(大正7)年に首相となり、歴代の士族出身の首相に代わる、日本初の平民宰相として国民に歓迎されました。日本における政党政治の第一歩を記した人物としても知られています。原の合理主義による開明性は皇太子(当時の)の欧州視察旅行の推進実現に代表されます。しかし原はその開明性のために極右勢力に狙われ、1921年11月、19歳の国鉄職員に東京駅で暗殺されました。原は趣味として俳句をたしなみ、その時々の心境を託したすぐれた作品が数多く残されています。このほか新聞社につとめたときには、原敬の署名で論説に筆をとる一方、多くの著書を残しました。満19歳から65歳に暗殺された当日までの記録「原敬日記」は学術上の貴重な文献となっています。また、大慈寺には原敬の別荘であったものを、没後にあさ婦人から元のまま寄贈された腰越荘があります。原敬が忙しい生活の折にくつろぎをとった懐かしい建物でもあり、室内には西園寺公望の筆による腰越荘の額が今もかけられています。
[住所]岩手県盛岡市大慈寺町5-6
NO4:山車資料館
旅館大和から約383m
[お勧め時期]0
[PR]盛岡八幡宮境内の一角に建つ。毎年9月に開催される、盛岡八幡宮の例大祭に出る山車を,土・日曜に限り無料公開している。
[住所]岩手県盛岡市八幡町13-1
NO5:永泉寺
旅館大和から約433m
[お勧め時期]0
[PR]左甚五郎の作と伝えられている木像七福神はじめ多くの文化財を有する。※滝ノ上観音縁起:旧中野村に白滝という場所があり、最近まで幅2メートル、高さ数メートルの滝があった。昔ここに観音様が祀られていた。あるとき、付近に山火事が発生し危うく類焼しそうになった。観音様は自ら難を逃れて永泉寺に飛んでこられたと伝えられる。それ以来、当寺に祀られ、滝ノ上観音と崇められ盛岡三十三番札所の七番として信仰を集めている。
[住所]岩手県盛岡市大慈寺町8-22