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宿・ホテル基本情報

宿・ホテル紹介:

原城温泉真砂全室、イルカが暮らす有明海を望むオーシャンフロント!美しい景色と有明海の味覚を堪能できる湯宿。【マイカー】諫早ICより約75分、長崎市内・長崎空港より約90分、口之津港より約25分。駐車場:有70台無料先着順

再安価格:

5741円~

チェックイン:

15:00~

チェックアウト:

~10:00

部屋数:

13

位置情報

アクセス:

【マイカー】諫早ICより約75分、長崎市内・長崎空港より約90分、口之津港より約25分。
詳細情報

駐車場:

有70台無料先着順

温泉:

[種類]温泉大浴場サウナ[泉質]ナトリウム炭酸水素塩泉[効能]関節痛神経痛疲労回復

インターネット:

-

カード:

VISA
JCB
AmericanExpress
MasterCard

客室設備:

テレビ
ビデオデッキ(貸出)
お茶セット
冷蔵庫
ドライヤー(貸出)
ズボンプレッサー(貸出)
電気スタンド
アイロン(貸出)
カセットデッキ(貸出)
加湿器(貸出)
個別空調
洗浄機付トイレ(一部)
石鹸(液体)
ボディーソープ
リンスインシャンプー
ハミガキセット
カミソリ
タオル
バスタオル
浴衣
スリッパ

施設案内:

レストラン
カラオケルーム
多目的室
宴会場
会議室
大浴場
サウナ
売店
自動販売機
貸自転車
茶室
モーニングコール

NO1:レストランはる乃-南島原市その他/定食・食堂[食べログ]

原城温泉真砂から約0m
[営業時間]11:30~15:00ランチ営業、日曜営業
[予算][昼]~¥999
[住所]長崎県南島原市南有馬町丁133原城温泉真砂施設内

NO2:割烹城-南島原市その他/割烹・小料理[食べログ]

原城温泉真砂から約203m
[営業時間]11:00~21:00ランチ営業
[予算]-
[住所]長崎県南島原市南有馬町丁170

NO3:えんまん屋-南島原市その他/からあげ[食べログ]

原城温泉真砂から約630m
[営業時間]11:00~19:00
[予算][夜]¥1,000~¥1,999
[住所]長崎県南島原市南有馬町丁292-2

NO4:一松寿司泰蔵-南島原市その他/寿司[食べログ]

原城温泉真砂から約1145m
[営業時間]一松寿司11:00~22:00泰蔵18:00~25:00
[予算]-
[住所]長崎県南島原市南有馬町乙1300-1

NO5:魚一番(ウオイチバン)-南島原市その他/居酒屋[食べログ]

原城温泉真砂から約1177m
[営業時間]17:00~0:00夜10時以降入店可
[予算][夜]¥1,000~¥1,999
[住所]長崎県南島原市南有馬町乙

NO1:原城温泉

原城温泉真砂から約19m
[お勧め時期]0
[PR]大正11年の島原半島南部を中心とした大地震により、湯煙をあげたことにはじまる温泉です。天草四郎で知られる島原の乱がおこった原城跡のすぐ近くにあります。美肌効果がある泉質で別名「美人の湯」とも呼ばれます。浴場は大きなガラス張りのオーシャンビューで長崎県内有数の広さを有します。円形ジャグジー、ジェットバス、サウナ、打たせ湯などがあり、80畳の休憩室や宿泊施設も完備しています。
[住所]長崎県南島原市南有馬町丁133

NO2:原城遊漁船

原城温泉真砂から約112m
[お勧め時期]0
[PR]イルカウォッチングもできる。
[住所]長崎県南島原市南有馬町丁133

NO3:板倉重昌の碑

原城温泉真砂から約258m
[お勧め時期]0
[PR]島原の乱の征討使として着任。成果が上がらず、第2征討使、松平伊豆守が派遣されたのにあせり、寛永15年元旦総攻撃を敢行し戦死。この碑は、乱後43年目の1681年に重昌の孫である重道の依頼で建立計画され、碑文を彫り建立を申し出たが、許可されず放置されていた。その後1798年板倉八右衛門勝彪(島原松平氏主席家老)によって建てられた。撰文林整宇(林羅山の孫)
[住所]長崎県南島原市南有馬町大江

NO4:白洲

原城温泉真砂から約315m
[お勧め時期]0
[PR]原城本丸沖合に浮かぶ浅瀬で、旧暦3月と8月の最干潮時に姿を現します。珊瑚と異なり極めて珍しい植物の一種で、学名「リソサムニューム」といわれています。世界でも珍しくインド洋、イギリス海岸と当地の3か所でしか見られないたいへん貴重な場所です。
[住所]長崎県南島原市南有馬町大江名原城本丸跡沖合

NO5:浦田観音(浅間神社)

原城温泉真砂から約410m
[お勧め時期]0
[PR]有馬晴信の若君が誕生した当時、乳不足であったので、家臣山崎飛騨守が心配のあまり観音菩薩の祠をつくり祈願したところ乳が出るようになったと言われ、以来乳出安産の守り本尊となった。島原の乱の時に破壊されたが、乱後寛永16年に再建された。この神社の石段脇には、島原の乱の時幕府軍が日向の金堀坑夫によって掘られた甬道(ようどう)跡がある。
[住所]長崎県南島原市南有馬町浦田名