宿・ホテル基本情報
宿・ホテル紹介:
奥水間温泉河鹿鳴く渓谷のせせらぎの音に耳を遊ばせる。旅情豊かな泉州の奥座敷、奥水間温泉へようこそ水間観音駅よりバスまたはお車で約5分。阪和道「貝塚IC」降りて一つ目信号「木積南」交差点を右折して8分駐車場:有り50台無料予約不要大型バス乗り入れ可能
再安価格:
13000円~
チェックイン:
15:00~
チェックアウト:
~10:00
部屋数:
19
位置情報
アドレス:
大阪府貝塚市木積3159アクセス:
水間観音駅よりバスまたはお車で約5分。阪和道「貝塚IC」降りて一つ目信号「木積南」交差点を右折して8分詳細情報
駐車場:
有り50台無料予約不要大型バス乗り入れ可能
温泉:
[種類]大浴場露天風呂天然温泉[泉質]ナトリウム炭酸水素塩泉[効能]アトピー・湿疹美肌効果疲労回復
インターネット:
-
カード:
VISA
JCB
AmericanExpress
Diner'sClub
UC
DC
NICOS
OMC
BankCard
UFJCard
MasterCard
Discover
Saison
AEON
楽天カード
ANA
JAS
JAL
利用可
客室設備:
施設案内:
NO1:奥水間温泉(オクミズマオンセン)-水間/旅館[食べログ]
奥水間温泉から約0m
[営業時間]-
[予算][夜]¥10,000~¥14,999[昼]¥4,000~¥4,999
[住所]大阪府貝塚市木積3159
NO2:ほの字の里レストラン彩-和泉中央/定食・食堂[食べログ]
奥水間温泉から約1034m
[営業時間]0700-2100朝食営業、ランチ営業、日曜営業
[予算][昼]¥1,000~¥1,999
[住所]大阪府貝塚市蕎原2114
NO1:奥水間温泉
奥水間温泉から約2m
[お勧め時期]0
[PR]奥水間温泉は、別名「美人の湯」とも言われる温泉があり、創作料理も評判の泉州の隠れ宿。四季折々の風情が楽しめ、初夏はホタルの姿も楽しめる。ゆったりとした気分を存分に味わってみては。
[住所]大阪府貝塚市木積3159
NO2:そぶら貝塚ほの字の里
奥水間温泉から約1062m
[お勧め時期]0
[PR]葛城山に程近い山間部にあった旧蕎原(そぶら)小学校の跡地を利用して作られた、山の自然を楽しむことができる施設。人気は「森の浴場・ゆの館」。ここでは「美人の湯」といわれるアルカリ泉の天然温泉が湧き出ており、開放感あふれる岩風呂・桧風呂の2つの風呂が楽しめる。また地元名産の海や山の幸、バーベキューが楽しめるレストラン「彩」と「ガーデンテラス」、木をふんだんに使った客室が自慢の宿泊施設「ほの字の館」、バレーボールやバドミントン、卓球などが楽しめる「げんきの館」など、施設が充実している。ほかに、木工や炭焼、そば打ち教室などの体験コーナーも。もちろん、近隣の和泉葛城山界隈の自然散策もおすすめ。施設内では、地元の主婦らが丹精込めて作った手作り味噌や漬物、野菜などの販売コーナーもある。
[住所]大阪府貝塚市蕎原2114
NO3:奥水間アスレチックスポーツ
奥水間温泉から約1508m
[お勧め時期]0
[PR]ニジマス釣りや、うなぎのつかみ取り、バーベキューが楽しめ、36ポイントあるフィールドアスレチックは関西一の広さを誇る人気遊具。レストハウスやキャンピングカーもあるので宿泊して自然を満喫するのもいいだろう。
[住所]大阪府貝塚市木積24
NO4:孝恩寺
奥水間温泉から約2576m
[お勧め時期]0
[PR]行基建立四十九院のひとつで、現在の観音堂は古くは「観音寺」「木積観音(こつみかんのん)」などと呼ばれ、孝恩寺とは別の寺院だった。観音寺は大正3年(1914)、廃寺して当寺に合併したが、寺伝によると、奈良時代の神亀3年(726)、行基によって開創された七堂伽藍をもった寺院だった。その後、さまざまな混乱を経て観音堂のみを残して現在に至る。この観音堂は、大阪府下で最古の木造建築物のひとつに上げられ、鎌倉時代後期に建てられた密教様式を現在に伝える貴重な建物。釘を1本も使わずに建てられたので、「木積の釘無堂」とも呼ばれ、国宝になっている。「木積」(こつみ)とは、孝恩寺のある貝塚市の地名のことで、行基が「観音院」をはじめ、関西に49の院を建てる際、山から切り出した木材置き場にしたことに由来する。また、境内の宝物館には、雨乞い祈祷の本尊として知られる「難陀竜王増像」や鎌倉初期の阿弥陀如来立像など国指定の重要文化財19点も。
[住所]大阪府貝塚市木積798
NO5:水間寺
奥水間温泉から約3106m
[お勧め時期]0
[PR]天平年間(729〜749)、聖武天皇の勅願により行基が開基したと伝えられる。寺号は、葛城山から流れてくる近木川と、その支流の秬谷川が合流する地形(水間)に由来する。最盛期には七堂と僧坊百三十余を有する大伽藍を誇った。天正13年(1585)、豊臣秀吉の兵火で焼失し、現在の本堂は文化8年(1811)に再建されたもの。本尊は「厄除の観音さま」として信仰が厚い。開山以来行なわれている伝統行事「千本搗(つき)」は、長い棒を持った人々が臼を囲んで餅をつくという行事。行基が十六人の童子(観音の化身)に誘われて観音像を授けられ、聖武天皇、光明天皇の行幸の折、歌に合わせて棒で餅をつき、本尊に供えたことが始まりといわれている。
[住所]大阪府貝塚市水間638