1384の検索結果 5ページ目 (0.001秒)

周辺地図
[お勧め時期]0
[紹介]雫石川の支流鴬宿川にのぞむおよそ450年の歴史を誇る古湯。鴬(うぐいす)が足の傷を湯で治したという伝説により名づく。盛岡の奥座敷として知られ、約2kmにわたって旅館・ホテルが立ち並ぶ。単純硫化水素泉62度,56,7度。
[住所]岩手県岩手郡雫石町鶯宿温泉
周辺地図
[お勧め時期]0
[紹介]中心市街地にある道の駅で、観光交流センター「風の館」と物産館等「土の館」との複合施設「土風館」からなっています。
[住所]岩手県久慈市中町2-5-6
周辺地図
[お勧め時期]0
[紹介]宮沢賢治が1926(大正15)年に農学校を退職した後,青年や篤農家を集めて稲作法や農民芸術論などを講義するために設立したのが羅須地人協会である。現在の市内の賢治詩碑がある場所に協会の建物があったが,倒壊したため,現花巻農業高校内に復元された。
[住所]岩手県花巻市葛1-68
石割桜icon
周辺地図
[お勧め時期]0
[紹介]盛岡地方裁判所の構内にある石割桜は、盛岡のお国自慢をするとき、「石割桜こそ日本一の名桜」などといって、よく取り上げられる珍しい桜です。巨大な花崗岩の岩の狭い割れ目に直径約1.35メートル、樹齢が360年を越えるといわれるエドヒガンザクラが生育しているのです。巨大な花崗岩と調和した威厳ある美しい姿と珍しさでは、日本一といっていいのではないでしょうか。この石割桜にもかつて危機がありました。昭和7年に盛岡地方裁判所が火災に遭い、石割桜も北側の一部が焼けましたが、幸い全焼を免れ翌春には再び花を咲かせたのでした。現在は保護管理も良く、毎年見事に開花を続け、たくさんの人の目を楽しませています。ここは南部藩主の分家にあたる北監物の庭園であったといわれ、明治初期には桜雲石と呼ばれていたようです。1923(大正12)年、国の天然記念物に指定されています。
[住所]岩手県盛岡市内丸9-1盛岡地方裁判所敷地内
[お勧め時期]0
[紹介]ファミリーランドは、「水辺を舞台に、緑の中で心と体をのびのび伸ばし、家族や仲間と大いに楽しめる公園」です。園内には噴水があり、ジャブジャブ遊べる池や、せせらぎなどのほか大芝生広場やお花見広場、レクリェーション広場があり、子供からご年配の方まで家族そろって楽しむことができます。
[住所]岩手県岩手郡雫石町西安庭32-113
湯川温泉icon
周辺地図
[お勧め時期]0
[紹介]永承元年(1046)発見。奥羽山脈の真ん中,小鬼が瀬川の流れをはさんで旅館が建ち並ぶ典型的な湯治場。下流の出途ノ湯とその上の中ノ湯,奥ノ湯からなり,いずれも湯量が豊富で泉質もそれぞれ異なる。昔から岩手,秋田両県の農民の湯治場として知られ,自炊兼用の旅館もある。神経痛,リウマチ療養の長期滞在者が多い。
[住所]岩手県和賀郡西和賀町湯川
幽玄洞icon
周辺地図
[お勧め時期]0
[紹介]化石の宝庫(ウミユリの本体の化石)・地底湖などがある鍾乳洞
[住所]岩手県一関市東山町長坂字東本町154-1
焼走り熔岩流icon
周辺地図
[お勧め時期]0
[紹介]国の特別天然記念物。1700年代に噴出した溶岩が固まり、全長約4キロ、幅約1.5キロにわたり、扇状の岩石帯を形成している。今でもほとんど植物が育たず、当時の噴火の様相がそのままの形で残されている自然遺産。
[住所]岩手県八幡平市
報恩寺五百羅漢icon
周辺地図
[お勧め時期]0
[紹介]報恩寺(ほうおんじ)は広大な座禅堂と五百羅漢(ごひゃくらかん)で藩政時代から有名です。石川啄木がまだ盛岡中学の学生だったころ、この北山一帯の風光をこよなく愛し、級友とよく散策したといわれます。詩集「あこがれ」の中の「落瓦の賦」は報恩寺をうたったものです。また、宮沢賢治は盛岡高等農林学校時代に報恩寺で参禅したりしています。五百羅漢は報恩寺の羅漢堂に納められた尊像で、499体が現存しています。これらの像は、胎内の墨書銘から、1731年(享保16)、報恩寺代17世和尚が、大願主として造立、4年後に完成したことが分かっています。尊像は京都で9人の仏師によって製作され、盛岡に運んだ輸送用の箱は台座として再利用されました。五百羅漢の五百という数字は、多数という意味で、それぞれの尊者に名はなく、服装からは印度・西域・支那の僧の風貌・容姿が連想され、マルコ・ポーロやフビライ・ハンの像といわれるようになった像もあります。五百羅漢の現存は全国で50例ほど確認されていますが、木彫りで499体が現存し、造立年代、尊像の製作者まで明確に知り得るのは、全国的にもまれな例といえます。
[住所]岩手県盛岡市名須川町31-15
鵜の巣断崖展望台icon
周辺地図
[お勧め時期]0
[紹介]200m級の断崖が5層に連なる景色は隆起海岸の象徴的な風景となっている
[住所]岩手県下閉伊郡田野畑村真木沢
岩手銀行(旧盛岡銀行)旧本店本館icon
周辺地図
[お勧め時期]0
[紹介]赤煉瓦造りに緑のドームとルネッサンス風の輪郭の厳格さを現わしており,当時の洋風建築の特徴をほぼ完全な姿で伝えている。内部には付け柱を用い、天井に石膏モチーフを施す等豪かな内装が明治期の銀行建築の姿を良く示している。設計は東京駅でも知られる、辰野・葛西建築設計事務所による。辰野金吾が設計した建築としては東北地方に唯一残る作品でもあり、昭和52年1月20日に盛岡市保存建造物に指定された。平成24年8月3日銀行としての営業を終了した。
[住所]岩手県盛岡市中ノ橋通1-2-20
牛の博物館icon
周辺地図
[お勧め時期]0
[紹介]牛に関する資料を国内外より集め展示。「牛と人との共存を探り、生命・自然・人間を知る」をテーマとする世界唯一のウシ専門博物館。
[住所]岩手県奥州市前沢区南陣場103-1
御所湖icon
周辺地図
[お勧め時期]0
[紹介]御所湖は、上流から流れ込む雫石川をせきとめてつくられた、巨大な人造湖です。湖周囲はレジャーやスポーツのメッカ。湖上ではウインドサーフィンやボートセイリングが盛んに行われ、周辺にはプールや釣りなどのスポーツが楽しめる施設もあり、総合レジャースポットとして親しまれています。
[住所]岩手県盛岡市繋
松川温泉icon
周辺地図
[お勧め時期]0
[紹介]岩手山の北麓,ブナやナラの原生林に囲まれた松川渓谷沿い。露天風呂を備えた旅館もあり,湯舟からの紅葉がみごと。日本発の地熱発電で有名。
[住所]岩手県八幡平市
盛岡城跡icon
周辺地図
[お勧め時期]0
[紹介]三戸城主南部信直が慶長3年(1598)ごろ着工,子の利直のとき三戸より移る。城が完成したのはその子重直の時代,寛永10年(1633)という。南部氏が累代在城して明治維新までつづいた。現在,石垣と堀を残している。また城跡は岩手公園になっており,内堀・石垣に往時を偲ぶだけである,松や桜の多い園内は,市民の散策の場となっている。◎南部信直(1546-99)近世南部氏の藩祖。戦国末期,豊臣秀吉に仕え本領を守る。盛岡城を築城した。
[住所]岩手県盛岡市内丸1-37
宮沢賢治イーハトーブ館icon
周辺地図
[お勧め時期]0
[紹介]宮沢賢治に関するさまざまなジャンルの芸術作品や研究論文をできる限り多く集め,わかりやすく整理して一般の人に公開している。宮沢賢治学会イーハトーブセンターの本拠が置かれている。
[住所]岩手県花巻市高松1-1-1
岩山展望台icon
周辺地図
[お勧め時期]0
[紹介]標高約340mの頂上にあり,盛岡駅から車で15分の所に位置する岩山の展望台は,市街地はもちろん,岩手山や八幡平を含む奥羽山系から北上山系まで一望でき迫力満点。背後には岩手山が望める。盛岡全景を望む夜景スポットとしても人気がある。
[住所]岩手県盛岡市新庄字岩山50-6
無量光院跡icon
周辺地図
[お勧め時期]0
[紹介]秀衡が、宇治平等院を模して創建したといわれ、平等院鳳凰堂より規模が大きかったと推定される。また,毛越寺・観自在王院と並ぶ臨池伽藍で、池跡・中島などの遺構が残っている。
[住所]岩手県西磐井郡平泉町平泉字花立地内
猊鼻渓icon
周辺地図
[お勧め時期]0
[紹介]北上川の支流・砂鉄川両岸に巨岩・絶壁の連なる約2kmの渓谷を舟下りで楽しめる。大正14年に名勝に指定され、日本百景のひとつに数えられる。史蹟名勝天然記念物。
[住所]岩手県一関市東山町長坂字町375げいび観光センタ-
1234567891011